田栗和親プロフィール
専務理事 田栗和親
経歴
1947年4月東京に生まれる
1970年代
1970年3月学習院大学経済学部卒業・学生時代はフリーライターとして「女性自身」に連載を持つ。
4月(社)アメリカン・ソサエティオブジャパン入社
1975年清涼飲料水「酸梅湯」の製法特許を習得し、(株)酸梅湯本舗を設立
代表取締役として百貨店やスーパーに販売
1976年韓国現代より小松製作所のブルドーザー10代の注文を受け、納品
1977年4月(社)アメリカン・ソサエティオブジャパン理事就任
1978年丸ビル(東京)に「東京パン」を設立し、代表取締役に就任。洋食レストランとして開業する。
電子部品、基盤の回路を作るためのハンダ装置製造会社関東電装工機(株)設立
1979年8月(株)シーエスアイ設立
代表取締役兼TV番組のプロデューサーとして西部スペシャル「女が職場を去る時」「ビバシネマ 青春を配達した女」「スペイン子連れ留学」「ろうそくが消えない」他を制作。
1980年代
1980年関東電装は日本で売上5番目の会社となり、韓国ラッキーゴールドスターを代理店として韓国での販売を開始。韓国では一番の売り上げを記録した。
フジテレビ5分番組「おばあちゃんの知恵袋」を2年間制作。
1981年フジテレビの国際スポーツフェアにプロデューサーとして関わる。
「ウーパールーパー」の名称を商標登録。日清ラーメンの広告に使用し、爆発的ヒットとなる。
1982年4月(株)インターナショナルランゲージサービス代表取締役に就任。
(株)東京経営学院代表取締役就任。
両者ともサンケイ新聞社の子会社。
1983年3月(株)インターナショナルランゲージサービス及び(株)東京経営学習院の代表取締役退任。
(株)サンキの依頼により、「アパデント」をディノスと共にテレビショッピングで爆発的ヒット商品とする。
1986年4月(株)フェイコーポレーション
7月(株)ラカンプレス設立。編集長就任
1988年7月アメリカより「ロス・ロボス」を招待し、東京・大阪コンサートを行う。チケットは3日で完売する。
1990年代
1990年3月(株)アメリカン・ソサエティオブジャパン理事退任。
4月(株)共同プレス設立(出版社)代表取締役就任。
女性ファッション誌{ザ・ボディ}発行。
単行本出版
「リチャードギアMrセクシーの真実と嘘」
「ロバート・デニーロ挑戦こそ我が人生」
「マリリン・モンローわが妹マリリン」
「エルヴィス・プレスリーメンフィス・マフィヤの証言」
「ジェームスディーン反逆児・その生涯と伝説」
「教育改革コミックいじめをぶっ飛ばせ」
「木偶の舞う夢 最後の文楽人形師 大江巳之助の世界」
1992年晴海にサッカー場建設を計画
1997年丸ビル建て替え工事により「東京パン」を閉店する
1998年4月ファッション2時間番組制作。日本テレビにて放映。
1998年10月晴海サッカー場計画地の暫定使用に向けて、晴海グローバルプラザ設立委員会を設立。
1999年1月晴海グローバルプラザ株式会社を設立し、代表取締役就任。
2000年代
2000年6月晴海グローバルプラザ株式会社の社名をグローバルプロジェクト株式会社に変更。
東京都中央区と連帯して晴海インターナショナルシティのプロジェクトを立ち上げる。
2005年石原知事のオリンピック招致により当事業は一時休止。ただし都議会及び区議会では答案しか承認を受けていないので、日本でのオリンピックが実現しない場合、当案が採用される。
2010年代
2013年東京オリンピックが決定。晴海プロジェクトは中止。
2016年2月一般社団法人 経営改革支援・中小企業協会専務理事に就任